厚木基地シンポジウム パート1

Posted on Posted in 2010年

江本です。先日12月1日に、




米海軍厚木航空施設開設60周年記念シンポジウム

「日米同盟と米海軍厚木基地航空施設―東アジア情勢を見据えて」





に参加してきました。森ゼミ全員参加のはずが、主催者側の意向で3人という人数制限がかかり、森先生も論文作成のために参加でされないということで、

結局加藤と二人での参加となりました。




知識の確認が今後できるように、暇人らしく(笑)、詳細な報告にしたいと思います。







●そもそも厚木基地とは

講演内容の報告に入る前に、厚木基地の概要から説明したいと思います。




(講演中にも厚木基地の概要が紹介されていましたので、そこで紹介されていたことと織り交ぜて書きたいと思います。)




・厚木基地の所在地

神奈川県は綾瀬市。相鉄線さがみ野駅から徒歩20分ですかね。

予想以上に、歩かされるので疲れました・・・




相鉄線さがみ野駅は、都内からだと品川からJRで横浜へ。横浜から相鉄線海老名行に乗るのが便利かと思われます。







さて、いきなり余談なんですが実は厚木基地と厚木市には地理的関連性がありませんね。基地の敷地は綾瀬市と大和市をまたいでいます。はっきりとした定説はないんですが、一説によると綾瀬という地名は足立区にもあるのでややこしいということと、

大和という名称は、戦艦大和や奈良県の地名を連想させるので却下になった。そこですでに知名度の高い地名であった厚木が選ばれたそうです。




・厚木基地はどのような目的を持つ基地か?

厚木基地の特徴はなんといっても、日米共同利用の基地であるということです。米海軍と海上自衛隊が使用しています。

日本の海上防衛の一大拠点というわけですね。




アメリカ海軍

第七艦隊直属のヘリコプター部隊と

横須賀に配備されている空母ジョージ・ワシントンを母艦とする

第五空母航空団の戦闘機部隊

が配備されています。




第五空母航空団のロゴ

CVW-5-Insignia.JPEG 


「空母ジョージ・ワシントン」という言葉にピンと来た方もいるんじゃなんでしょうか?そう、11月28日~12月1日まで黄海で実施された米韓合同軍事演習に参加していました。つまり、厚木基地のアメリカ軍のほとんどは米韓合同軍事演習に出払った状態だったわけです。




空母ジョージ・ワシントン

USS George Washington




 

◆米海軍の現状と基地問題
「横須賀基地の空母の戦闘機部隊が厚木基地に所属している。」

この現状からうかがえるのは、




空母に積まれた飛行機は、空母に乗せっぱなしではないのか?そうではありません。

空母が港に入るときには、艦載している飛行機をすべてカラにした状態で入港します。

空母の重量が重いと、港の海底に乗り上げてしまう危険性があるからです。

そのためにアメリカ海軍の運用には、港湾基地とセットで「艦載機が降り立つための飛行場」を近くに設置している状態が整っていなければなりません。




神奈川の横須賀基地は厚木基地とセットで存在しているわけです。

厚木基地の騒音対策として、厚木基地の航空部隊の一部岩国移転が予定されています。これはつまり、ジョージ・ワシントンで洋上展開する際に、岩国移転後の航空部隊は山口県からはるばる神奈川県横須賀にまで飛ぶという無駄が発生するわけです。

それをあえて受け入れるアメリカの姿勢を日本は理解しなければ、建設的交渉はなされないことでしょう。







日本の海上自衛隊

海上自衛隊の飛行機部隊は「航空集団」と呼ばれています。

その司令部がここ厚木にあるのです。

厚木に所属している航空集団は

・日本近海の監視任務を担う第四航空群

をはじめとして、

・整備部隊(第4整備補給隊)

・パイロット養成部隊(第51航空隊)

・海上救援活動を行うヘリコプター部隊(硫黄島航空基地隊)

などで構成されています。
海上自衛隊の航空部隊の主力は、なんといっても対潜水艦哨戒機(哨戒機とは、領域侵犯がないか監視する飛行機のことです。)です。強力なレーダーやソナー(潜水艦は魚群探知機を使って捜索します。)を使って、冷戦中はソ連海軍の動きを、最近は中国海軍の動きなどを監視しています。
・厚木基地の歴史

『岡崎研究所特別研究員 小谷哲男先生 のスピーチ』



●戦後厚木基地の始まり

戦後の日米関係というのは厚木から始まりました。1945年8月30日にダグラス・マッカーサー将軍がここ厚木に降り立ったときから戦後日米関係は始まったということがいえます。戦後アメリカ陸軍が厚木を接収しますが、1949年まで厚木は事実上閉鎖された状態になっていました。それが1950年の朝鮮戦争の勃発によって、厚木基地の重要性が再確認され、60年前の今日(1950年12月1日)、米海軍がこの基地を引き継ぐということになっています。つまりこの厚木基地というのは、この地域の安全保障の問題と密接にリンクした状態で、生まれたということがいえます。

 

●もうひとつの転機。冷戦期の厚木基地

もうひとつの厚木基地における転機というのは、1973年でした。1973年に横須賀が空母ミッドウェイの母港となり、ミッドウェイの艦載機が厚木を拠点とするようになります。また同年1973年に、海上自衛隊の航空集団司令部が厚木に併設されています。これによって米海軍空母艦載機部隊の基地であると同時に、海上自衛隊の航空部隊の基地という位置づけが厚木に生まれます。冷戦期、この厚木基地がどのような役割を果たしたかといいますと、1970年代以降旧ソ連はこの地域に100隻の水上艦、140隻の潜水艦、そしてバックファイア(Tu-22M )と呼ばれる爆撃機、さらにはSS-20という核ミサイルを配備していくようになりました。それに対してアメリカの方は、もしもソ連が西ヨーロッパに対して大規模な侵攻を始めるならば、即座に西太平洋地域においてアメリカの圧倒的な海軍力によって極東ソ連軍を攻撃する、という二正面作戦をとります。これにおいて、ソ連が万が一西ヨーロッパで戦端を開くならば、ソ連はヨーロッパだけでなく太平洋でも戦わなくてはならなくなる、というに正面作戦を強いることになります。そのなかの中心的役割をになったのが、横須賀に配備された空母機動部隊、そしてその艦載機であり、これらが(対ソ抑止に必要な)打撃力を提供しました。

そしてもう一つのカギは空母機動部隊を守る楯が必要だったんですけども、それを提供したのがまさに自衛隊であったということです。それは、空母というのは潜水艦に対して脆弱であるために、対潜水艦作戦というのが非常に重要になってきます。それを担ったのが厚木を司令部とする海上自衛隊の「航空集団」であったということになります。つまり、米海軍が攻撃的な役割を担い、海上自衛隊が防御的な役割を担うことによって、冷戦というのは熱戦になることなく終わったということになります。この(アメリカの)空母艦載機部隊と海上自衛隊の航空部隊をポストしている厚木の役割は大変重要であったということができます。

 

●冷戦後の厚木基地

日においても、この厚木の役割は決して低下することはありません。むしろそれは増しているといえるかもしれません。この地域には様々な問題が残っていおりまして、そこのおいては依然としてアメリカ海軍の空母戦闘力というのが重要な役割を果たしております。そのために、この空母機動部隊を守る役割を担う自衛隊の役割というのが非常に重要となってきます。中国はアクセス拒否能力を展開しておりまして、メインターゲットはアメリカ海軍の空母であるということは明らかであります。しかし、このアメリカ海軍空母が攻撃的な役割を担い、自衛隊が防御的な役割を担うという組み合わせが続くかぎり、この地域の安定は守られていると私は考えます。今日みなさんがご覧になる機会があるかどうかわかりませんが、厚木の滑走路にあります「第五空母航空団」のハンガー(格納庫)には”tip of the sword(剣の先)”というスローガンが掲げられておりますが、まさにこの空母艦載機部隊というのは真っ先にこの地域で何かがあった時に攻撃力を提供するという非常に重要な役割を担うわけです。そして厚木基地は”tip of the sword(剣の先)”の状態を常にベストな状態に保っていくための役割を担っています。私の方からは日本に住んでいる一員としてまして、厚木基地の地域周辺のみなさま、自治体のみなさま、それから米海軍のみなさま、自衛隊のみなさまに感謝を申し上げて私からの発表を終わらせていただきたいと思います。ありがとうございました。

小谷先生は、繰り返しアメリカ海軍がいかに空母を主力として活用しているかを述べていました。日本が盾の役割を果たすためには、日本がもつ監視能力が必要だということです。それは冷戦期も今日もかわりません。平時においても戦時においても、日本の国益を脅かそうとする国の軍は、いかにすがたを隠して相手に対応行動をさせないかを念頭において行動します。これは世界最強の海軍力をもつアメリカにおいても、日本がもたらした情報なしには作戦行動を執れないということです。ここに日本の果たせる役割というのが明確になっていました。

 

パート2に続く・・・