6/10のゼミ

Posted on Posted in 2009年

6月10日のゼミと12日のサブゼミについてです
C班の発表からでした 発表は『冷戦史』三章です!

Section1:雪どけのはじまり(担当:釜井)
■中ソ平和攻勢
■米国の対応
■インドシナ休戦が実現
■バンドンからジュネーブへ
■スエズ危機と米ソ
■揺らぐ社会主義
問題提起:なぜ2大軍事同盟が設立した後に対話によって対立を解決する意志が生まれたのか。

Sction2:再び激化する対立(担当:豊田)
■宇宙からの脅威
■パリ頂上会談の破綻
■突如築かれた壁
■砂糖の島の革命
■米ソ核戦争の瀬戸際
■燃え上がるアフリカ
問題提起:U2追撃事件で米国の偵察、スパイ活動が明るみになると。米国がいままでの態度を変え。謝罪どころかむしろスパイ飛行を正当化したのは何故か

Section3:冷戦の休戦ライン(担当:竹原)
■東南アジアの戦乱
■ヴェトナム戦争
■平和の戦略
■米欧のきしみ
■崩れた一枚岩神話
■中ソ対立の激化
■西半球の王者

Section4:デタント時代の到来(担当:竹原)
■米中接近の衝撃
■軌道にのったデタント
■SALTへの道
■ヴェトナム敗戦の真実
■米ソ友好に暗雲
問題提起:なぜソ連は中国と関係悪化を導くような行動を取ったのか

今回のゼミでは先生が解説や説明をしてくださったのでUPしておきます まず…<平和共存路線>についてです。
フルシチョフは平和共存路線を主張したマレンコフを追い出すが、のちに平和共存路線に変わっていくこと、スターリン批判をしたことには理由がありました!

⇒スターリンはソ連は米国に比べて弱いが国民を統率するために緊張が増すような事をします(国内要因)
しかしフルシチョフの時代にはある程度国内基盤が出来上がっていたので、対米の必要がなくなります。
しかしメレンコフを引きずり落とすために、スターリン派と見せかけて、マレンコフを追放してから、平和共存路線に変わっていきます。アメリカに追いつくためです。

次に米国がヴェトナム戦争に参加したのは<コミットメントのフレディビリティー>を守るためであるということです。
これはヴェトナム戦争に参加しないと東南アジアの信頼を失うほか、日本の成長を妨げるという事でした。

次に<中立化>についてです。
中立化というのは資本主義にも社会主義にも入れないということです。
分かりやすく言うと1、2、3があって、1VS2だったら3をどちらの見方につけないと1、2が認めることです。

次にニュールック戦略と柔軟反応戦略の比較をしました。
ニュールック戦略…重点防衛、核兵器重視
柔軟反応戦略…外縁防衛、通常戦力、対ゲリラ戦能力

またスプートニクによって、米国がソ連に核を落としにくくなるのでは…という不安が西欧諸国で沸き起こります。

三章では舞台が極地から第三世界へ移って行きました
サブゼミででた問題提起の回答?は、

釜井
同盟と話し合いによる解決の流れは別だったのではないか。
欧州での全面戦争をさけるためではないか(朝鮮戦争もあったので)
即席のワルシャワ条約で、6年の歴史のあるNATOに対立できる見込みが少なかったのでは。

豊田
アイゼンハワーの個人要因
平和共存路線を維持するために隠していたが、ばれて屈辱を味わった(でもフルシチョフは知っていた)
国内要因
スパイは必要
世論はスパイを必要としていた

竹原
イデオロギー的対立
戦略の違い(対米のギャップ)
平和共存路線を中国が受け入れられなかった
ソ連は朝鮮戦争での義勇軍撤退が長引いたことがいやだったのでは。
革命を40、50年ほど前に終えていて、不安定期を乗り越えたソ連に対し、中国は不安定期だったため対立したのでは。

という感じだったと思います またまたC班の発表が長引いてしまってすいませんでした… 次回は三度目の正直で40分で終わらせます