JETRO〜CSの準備のために〜

夏合宿のCS(ケース・スタディ)に向けて、有志を募って

アジア諸国に関する豊富な文献が閲覧できるジェトロ・アジア経済研究所図書館行ってきました。

 

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そもそもCSとは、

森ゼミ1年目の夏合宿で発表を行う、最初の大きなCHALLENGEのことです。

 

今年のCSの内容

 

今回は事前に学習室の予約をして、2時間ほど各自の課題に取り組みました。

一般の方も利用できるので、興味のある方は是非足を運んでみてください。

洋書が多いので、辞書を持っていくといいですよ。

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10/9 本ゼミ議事録

本日は、国際秩序とは何か、グローバリゼーションとは何か、について学ぶために、文献報告を行いました。

4つの班全員が事前に指定された文献を読み、レジュメにまとめてそれぞれ発表しました。

以下がその参考文献です。

 

・  篠田英朗、『国際社会の秩序』、東京大学出版会、2007年、第1章。

・  正村俊之、『グローバリゼーション』、有斐閣Insight、2009年、第3章。

・  Evelyn Goh, “Hierarchy and the role of the United States in the East Asian Security Order,” International Relations of the Asia-Pacific, Vol.8, No.3 (2008) 353-377.

 

<前半>

最初の一限では、篠田氏と正村氏の文献報告がありました。

 

まずはD班の篠田英朗、『国際社会の秩序』、第一章の文献報告です。

第一章では国際社会について幅広い概略を学びました。

「国際」「社会」とはなにか、ではそれらが組み合わさった「国際社会」はどう定義されるか。

現代国際社会はどのような構成員から成り立っており、どのようなルールがあるか。

このような現代の国際社会を見た後、世界大に広がる国際社会の歴史を学びました。

16世紀には複数の国際社会がありましたが、この時代には互いに最低限の交流しかなく、それぞれの社会は孤立していました。

また、ヨーロッパの国際社会が力をもち、次第に他の社会は勢力を落とし、中には迫害された社会もありました。

このヨーロッパ国際社会と違う社会は、ヨーロッパ側から見れば「外部領域」です。

この外部領域が、16世紀から現代の国際社会の流れでどのような意味を持ち、どのように領域が変化していったかも学びました。

そして最後に、このような国際社会を作りあげた古典的ヨーロッパ社会の概略を学び、D班のプレゼンテーションが終了しました。

 

次にA班が文献報告をしたのは、正村俊之氏の『グローバリゼーション』、第3章です。

まず、国際化の進展を歴史を追って学びました。

戦後から順を追い、どのようなレベルでグローバリゼーションが進んでいったのかについて、

パクス・アメリカーナの概要やブレトンウッズ体制、フォーディズム、国際レジームの動き、戦後貿易…

など、様々な国際化の過度期の流れを追いました。

次に、「超国際化」をテーマに、従来の国家間の交流から超国際化、グローバル社会が形成される流れについて学びました。

新自由主義政策、金融の自由と国際化、金融工学の発達、コンピュータ・ネットワーク化や現代ネットワークの形成、多国籍企業の台頭、人口移動の新しい流れ…

こういった要素を学び、全体としてどのようにグローバル化が進んでいるか確認しました。

そして最後に、国際社会の基盤であったウェストファリア体制がどのように変容していったか学びました。

従来国家が主体となって行動していた国際社会は、グローバル化とともに様々なアクターが活躍する時代を迎えました。

多国籍企業、国際政府間組織と国際非政府組織、国際的な運動組織…現在は国家以外にも様々なアクターが国際社会を牽引しています。

また同時に、ナショナルなレベルのみならず、ローカルなレベル、国家の領域を超えたリージョナルなレベルと、現代社会は複雑な構造から成り立っています。

 

 

<後半>

上記二つの文献報告が終わると休憩をはさみ、次に英語文献の報告がB班、C班合同でされました。

参考文献は、Evelyn Goh氏の“Hierarchy and the role of the United States in the East Asian Security Order”の一部です。

この文献の指定範囲では、東アジアやアメリカ、ソ連の戦後の動きから、東アジア情勢がどのように変容していったかが書かれていました。

まず、ヴェトナム戦争、中ソ対立、ASEANの誕生や、アジアの一部地域規模での連携が挙げれられました。

こういった要素から、戦後の東アジアの秩序が変化していったと考えられます。

次に、冷戦終結後、どのようにアジアのヒエラルキーが変容したのかについて述べられていました。

 国際秩序-米国が他国を凌駕する能力を持った超大国に留まる

 地域秩序-中国の台頭と米国のアジア地域における戦略的重要性の低下という状況下で、日本や東南アジアを始めとする他国が現行秩序の再構築に励んだ

 大まかには上記の内容が書かれていました。

 日米関係や米中関係、アメリカと東南アジア諸国の関係などを見つつ、アジアの秩序を構成する主要なアクターの動きに注目しました。

 ここでは、東アジアのヒエラルキー、階級が

 1位 アメリカ

 2位 中国

 >>>大きな壁>>> 

 3位 日本、韓国

 4位 インド

 このように形成されていると述べられています。

10/2 本ゼミ議事録

文責:下田
前回のゼミに引き続き、本日も二年生のケース・スタディの発表をしました。
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発表順
⑦ 北嶋:対テロ(アフガニスタン)、サイバー担当
⑧ 渡辺:対EU軍事・経済政策担当
⑨ 中司:人権政策、エネルギー政策
⑩ 高木:対北朝鮮、対日本政策
⑪ 下田:核政策、気候変動政策担当
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⑦北嶋   担当分野:対テロ(アフガニスタン)政策、サイバー政策
○対テロ政策
ブッシュ大統領【ブッシュドクトリン】
テロ壊滅、テロ組織を支援する集団の打倒を目標とし米国の安全保障を獲得しようとする政策
<特徴>
道徳主義外交
一方主義的な政策志向
<背景>
米国の突出した軍事力
  ↓
オバマ大統領
<特徴>
パキスタンも入れた包括的な対テロ政策
多国間協調主義
軍隊の撤退を視野に入れた政策
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○サイバー政策
サイバーテロ政策の転換点
1.サイバー攻撃を戦争行為とみなす方針を固めたこと(2011年6月 ゲイツ国防長官より)
2.サイバー・カウンターインテリジェンス
 →米国のサイバー攻撃への対抗手段を広げた
   この政策に伴い、通信傍受法も年々政府に大きな権限を与えるものへと変化
3.アメリカサイバー軍(USCYBERCOM)の発足
4.実際にサイバー攻撃を政策手段として利用したこと
 ex)オリンピック・ゲーム作戦
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⑧渡辺   担当分野:対EU軍事政策、経済政策
○対EU軍事政策
NATOへの予算納入
リーマンショックの影響で米国の予算納入額は落ちたが、欧州各国も財政難から同じく納入額が落ち、米国とEUのNATOに納めた予算額の比率は金融危機後も2006年とあまり変わらず。
2013年の予算においては、若干の削減を行っている。これはアフガニスタンからの撤退とアジアシフトの影響によるものであると推測できる。
在欧米軍
1990年から2004年までに3分の1以上ものアメリカ軍をヨーロッパから撤退させているが、その傾向は続いている。
さらに、2011年からは、在欧米空軍及び陸軍において司令官の階級が4つ星から3つ星に格下げされている。
 →ヨーロッパにおけるプレゼンスをいっそう低下させている決定的な証拠となりうる事象
東ヨーロッパ諸国への軍事的支援
軍事的支援の形態として、IMETとFMFという2つの形態が存在しているが、2006年から2012年において、特に大きな変化はなかった。
しかし、2014年にアフガニスタンからの撤退により、ますますアジアシフトが進む可能性が高い。
よって、これらの軍事的支援は削減の一途を辿ることも十分にありうる。
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○対EU経済政策
東ヨーロッパ諸国への考察を中心に行ったところ、対東ヨーロッパ諸国の経済支援の変化が2段階見られた
1つ目の変化
 →オバマ氏が大統領に就任した2008年に発生
従来、東ヨーロッパ諸国への経済支援は、AEECとFSAの2つが存在していたが、オバマ政権になるとAEECとFSAをAEECAに統合した。
前者は共産圏への対抗の意味で東欧諸国の民主化支援という名称だが、後者は東ヨーロッパや旧ソ連という語句を支援の名称から削除している。
オバマ大統領が、ブッシュ大統領の採っていたロシアとの緊張外交を緩和するねらいがあったと推測できる。
2つ目の変化
 →2013年度の予算で発生
AEECAをさらにESFの中に併合し、かつ2012年の予算のAEECAと比較すると18%削減している。
これは、2014年のアフガニスタンからの米軍の撤退、及びアジアシフトによって起きたものであると推測できる。
実際に撤退が始まる2014年以降は、さらなる削減を行う可能性もある。
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⑨中司   担当分野:人権政策、エネルギー政策
○人権政策
国外問題
1.対中政策
米国は頻繁に中国の人権侵害を指摘するものの、具体的な措置はしていない。
 (理由)①国内の人権政策を重視 ②中国と良好な関係でありたい
 (結果)中国が米国に強気な態度を示している。
2.グアンタナモ収容所
[ブッシュ]人道を無視して収容所を合法化
[オバマ]大統領就任時、年内の閉鎖を約束
 →ブッシュの政策が国連など国際的に非難されたのに対して、オバマ氏は収容所を閉鎖させることで米国の人道的リーダーシップを取り戻したかった。
<国外問題まとめ>
 オバマ氏の政策も失敗に終わり、何も変化していない。
国内問題
移民の増加が今後も避けられない米国は、州ごとに移民取締りを行った。
一方、オバマ政権は不法移民の人権を守るために移民改革法案を提出するが不成立に終わる。
 →このような政策は、大統領選挙のヒスパニック層を意識したものであるという見方もある。
<人権政策全体のまとめ>
2006年以降の米国の人権政策では、国外の人道問題よりも移民問題・社会保障・雇用の機会など、国民の生活に直接関係する問題の解決が優先される傾向がある。
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○エネルギー政策
米国の石油対外依存
2005~2011年の間で依存度は60%から45%まで改善されている。
(要因) 原油価格の高騰(中東の情勢から価格が不安定)、自動車燃費基準の引き上げ、天然ガスの大幅な増産(シェールガス革命)
(結果)  オバマ政権のクリーンエネルギー中心であったエネルギー政策が、天然ガス中心の政策に変化した。
(予測) 米国の中東に対する安全保障・民主化のコミットメントの低下
      計画中の米国の天然ガス輸出の実現
      中国・欧州の開発が進行による、ロシア石油・ガスの依存低下
対外政策
1.対中政策
中国の安価な太陽電池の市場流入により、米国の企業の多くが破産。
  →商務省は中国製ソーラーパネルなどに31~250%の高率関税を課すと決定
石油業界の中国進出
  →米国のサウジ産原油離れとは対照的に中国の石油輸入量は大幅に増加
2.対日政策
2011年 米国の天然ガスについて,日本への輸出を拡大するよう協力を促した。
→米国は対日輸出も視野に入れるが,現在の法制度上,米国とのFTA締結国以外への輸出には政府の許可が必須なので、輸出の確約は避けている。
→ただし、大阪ガスが2012年6月テキサス州のシェールガス開発プロジェクトへの参画を発表。
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⑩高木   担当分野:対北朝鮮政策、対日本政策
○対北朝鮮政策
アメリカの対北朝鮮政策は、ブッシュ時代は米朝単独講話だったが、オバマ大統領は日本などの近隣諸国との話し合いを綿密に行なった。
・ブッシュ大統領
北朝鮮に要求を突きつけるも受け入れられないと譲歩し、それもうまくいかないとまた脅すという無限ループ
 →具体的な成果を上げることはできなかった
・オバマ大統領
外交交渉によって解決するという立場は変わらない。また、周辺国との協力関係を密にした。また、国連を通じた制裁を行なった。
 →北朝鮮は強硬姿勢を崩さず、弱腰という批判も
<まとめ>
2012年2月の米朝協議で、北朝鮮問題は大きな進展を見せたかのように見えたが、実際の合意内容はアメリカが相当譲歩している。また、この合意の2ヶ月後に北朝鮮はミサイル発射を行った。これに対しアメリカは国連を通じて経済制裁の1年間の延長を決定した。
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○対日本政策
自民党政権時代(特に小泉・ブッシュ時代)は非常に良好な日米関係を築いていたが、その後テロ特措法をめぐり若干悪化。
日本で政権交代が起こり鳩山が2005年の沖縄県の米軍基地に関する日米合意を覆す発言をすると一気に日米関係は悪化した。
 →しかし東日本大震災により若干の回復を見せ、現在は民主党政権になってから初の本格的な対話を実現させた。
このように日米関係に動きはあるものの、ブッシュ大統領とオバマ大統領で対日政策の変化はほとんど見られない。
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⑪下田   担当分野:核政策、気候変動政策
○核政策
①:大きな変化
 ・ブッシュ政権時の強硬な態度が、オバマ政権時では一転して国際協調の姿勢をとるようになった。
 ・核不拡散への認識が大きく変化。国際社会からの評価も高い核廃絶への姿勢を表明。
②:今後数十年は核兵器の保有は不可欠と表明したり、イランや北朝鮮の核開発疑惑問題を鎮静化させることもできず、ブッシュ政権時から実際の核政策の実態は大きく変わっていない。
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○気候変動政策
京都議定書への加入表明で国際協調の姿勢を表明したり、大々的に気候変動政策を展開するなど、オバマ政権の政策は国際社会からの評価が高い。
⇔だが実際はねじれ議会によって政策が実行できなかったり、グリーンニューディール政策が失敗するなど、大きな実績はあまりない。
核政策でも見られたように、国際協調の姿勢を執るようになったのが大統領の交代による一番大きな変化である。

9/25 本ゼミ議事録

文責:下田

本日は、2年生が夏休みの課題であるケーススタディを発表しました。

 

ケーススタディとは、ゼミ生それぞれが大きなテーマの中から担当分野を割り振りし、いろんなケースに分けて研究をすることを指します。皆で協力して一つのテーマの様々な要素を研究し、通年最後の最終レポートで大きなゼミテーマに取り組むための情報を共有します。

今年のゼミテーマは「アメリカのグランド・ストラテジーと国際秩序の変容」ですので、アメリカの国家戦略とその変容、今回は2006年以降2008,9年前後のアメリカの政策の変化をケーススタディのメインテーマとし、それぞれが担当分野でレポートをつくり発表を行いました。これは2年生の課題なので、発表者は5期生の12人です。

 

 

<発表順> *右の( )内は事前に割り振りした各分野です。

①    池田(イラン、オーストラリア)

②    刘(中国・軍事、中国・経済)

③    沼倉(イラク、中東和平)

④    御領原(インド、国家安全保障)

⑤    渡野辺(貿易政策、ロシア)

⑥    廣田(韓国、援助政策)

*次の授業で残り6人は発表

 

発表分をそのまま載せると量が多いため、要約して掲載します。

 

①池田   担当分野:対イラン政策、対オーストラリア政策

○イランの核開発に対する制裁対象の変化

2007年から2010年にかけては米国自国のみでの対イラン経済制裁を展開

当初は国営セパ銀行に対する制裁のみだったが、後に米国内企業に制裁を求めたり、制裁対象を他銀行や軍需産業へ広げたりするようになる



2011年からは、米国のみならず英国やカナダなど、その他外国にも共同で国際的な対イラン経済制裁を展開するようになる

 

○対オーストラリアの軍事・安全保障政策

2011年11月、オバマ大統領はアメリカの海兵隊を北部ダーウィンの基地へ派遣する方針を発表。「北部ダーウィンをアジアにおける米軍の新たな中心地とする」

→米軍のアジアにおける軍事の中心地がオーストラリアに移動

<理由>

中国の海軍能力の増強という問題に直面し、東西冷戦時代の主に北東アジア、欧州の北半球からアジア・太平洋へ戦略的な重要性がシフトしているため

 

 

②刘   担当分野:対中国の軍事政策、経済政策

(後日記載致します)

 

 

③沼倉   担当分野:対イラク政策、中東和平

○対イラク政策

ブッシュ政権時

イラク戦争が開戦。占領統治、国家復興の局面へ

その後、2007年にイラクの米兵の増派、米軍駐留を続ける方針を示す

<一方民主党は早期撤退を求める>

2008年 イラクと協定を結ぶ

2009年に都市部から戦闘部隊の撤退

2011年末までにイラク全土から完全撤退

オバマ政権時

イラクからの撤退を公約

対テロ戦の主戦場をイラクからアフガニスタンへ移行する考え

2009年 イラク戦争終結に向けて作業に取り掛かると宣言

2011年 イラクから完全撤退=イラク戦争が終結

まとめ

ブッシュ大統領による撤退の動きはなかったが、オバマ政権では一転して撤退が大きく進む

アメリカの対イラク外交は大統領によってその政策が変化したと言える

 

○中東和平(イスラエル・パレスチナ問題)
ブッシュ政権 オバマ政権
・イスラエル寄りの政策・二国家解決を目指す

・和平交渉に失敗
・両国に働きかけることを目指す・二国家解決を目指す

・和平交渉再開に失敗している
ブッシュ政権とオバマ政権でイスラエル・パレスチナ問題への姿勢は異なっていたが、結果としてはどちらも成功していない

政権による大きな変化はなかったと言える

 

 

④御領原   担当分野:対インド政策、国家安全保障

○対インド政策

米印原子力協定

従来、NPT(核不拡散条約)に加盟しないインドとの原子力協定は禁止されていた

しかし、2005年にそれまでの方針を転換。2007年に米印原子力協定を締結

<政治的要因>

同時多発テロ後、「テロ」の脅威に対して、インドとパキスタンの関係に介入する必要があった。

インドとパキスタンの間においてカシミール問題があり、アメリカの介入がなければ、印パによるテロ戦争に発展する可能性があった。

<経済的要因>

近年、7~9パーセントの経済成長を遂げるインドの存在と、同様に2000年以降、ほぼ2ケタの経済成長率を遂げる中国の存在

インド、中国はともに急激な経済的成長期にあり、中国に対抗するため、インドと戦略的パートナーとする思惑がある

オバマ大統領による対インド政策

2008年のリーマンショック後、アメリカ経済が大きく疲弊している中で、オバマ大統領は対印政策を修正させていく必要があった。

1つ目に経済協力。2008年の米印貿易総額は約400億ドルで、アメリカは3~4年後には1000億ドルを目指している。

2つ目に政治面でのもインドの支持。具体的には国連安全保障常任理事国入りの支持を表明したこと。

オバマ政権で見られるのは、特に経済・貿易協力が特に目立った。

アメリカに充満している不況の波をインドとの連携を高めることで打開しようとする動きが見られる。また中国の存在も米印外交に影響を与えている。

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○国家安全保障

・ブッシュ大統領は安全保障戦略に対して単独主義であったと言える。

具体的には、テロなどの脅威に対する先制攻撃、対テロに対して軍事行動で抑え込むといった強硬的で単独的な方針が見られた。

ブッシュ政権の単独主義的な武力行使、特にイラク戦争はアメリカ国内における支持率の低下だけでなく、国際社会から厳しい批判を浴びた。

 ・ 一方でオバマ大統領は多国間主義であり、大きな転換が見られた。

敵対国家に対して単なる武力行使を行う前政権とは異なり、平和的で多国間協調体制の構築が見られる。

≪要因≫

(現段階ではあくまで分析)

1.アメリカのイラク戦争への武力行使に対して世界からの批判

2. 国内世論の支持率低下

3.単独主義では国際秩序の安定を維持することは不可能

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⑤渡野辺   担当分野:貿易政策、対ロシア政策

○貿易政策

一般的な貿易政策の変化

大統領の変化と金融危機の影響で、2009年の初めごろから輸出重視が鮮明に。またオバマ大統領はドーハラウンドの進展の重視を言明。

対中貿易政策

対中政策に関してはここ数年大きな変化はなく、一貫して*デュアルトラックアプローチを用いている。

*中国に対して柔軟な対話と強硬な通商救済措置を使い分けて政策を行うこと

TPP政策

米国は2009年にTPP参加表明をした。2012年現在も交渉は継続中。

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○対ロシア政策

大統領の変化に伴い、対ロシア政策は強硬な姿勢から柔軟な姿勢に変化。

ブッシュ政権は強硬な姿勢

→東欧ミサイル防衛構想、グルジア紛争

<米ロ関係は悪化>

オバマ政権は柔軟な姿勢

→新STARTの調印、迎撃ミサイル配備の計画の見直し

<米ロ関係は回復>

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⑥廣田   担当分野:援助政策、対韓国政策

○援助政策

援助政策の弱体化

2009年、発足した当初のオバマ政権は、国際協調路線の基本的考え方の下で、対外援助を国防、外交とならぶ米国の対外政策の柱の一つであると表明

↕しかし…

2011年に政府支出の削減の影響で対外援助は大規模な減額が行われ、その減額に合わせて援助の目的や内容を根幹から変える動きも目立ってきた。

その一例として、中東諸国の民主化への激動による「アラブの春」を推進するための巨額の経済援助計画が削減のために阻まれた。

オバマ政権は、援助政策は米国の安全保障上重要であると見なしているため、この対外援助の大規模な減額は米国の安全保障に重大な被害を及ぼし、米国の世界的リーダーシップにも損害を与える措置だと考えられる。

援助手法の変化

ブッシュ大統領の質よりも量の政策から、オバマ政権では量より質を重視する政策が展開される

 .

○対韓国政策

1953年以降、米韓は韓国軍の兵力増強を目指してきたが、2004年からは一転して在韓米軍の規模を縮小し続けている。

<理由>

1つ目は、韓国軍は経済成長を背景に北朝鮮の通常兵器による攻撃から国土を守る十分な力を持っている、と判断したため

2つ目は、米軍を韓国から撤退させ、イラクへ送り込むなど中東政策に人員が必要となったため

在韓米軍を縮小させてはいるが、北朝鮮の核開発やミサイルの脅威に対応するため「包括的で統合された防衛」を強化、米韓の大規模な合同軍事演習を開催するなど、北朝鮮に対応するために韓国と連携していることは変わっていない。

9/18 本ゼミ議事録

後期がスタートしました!

 

後期初回のゼミは公開ゼミの形式と内容についてそれぞれ案を出し、決定するために時間を使いました。

以下、決定した公開ゼミの形式及びその内容です。

 

2012年公開ゼミ 10月16日(火) 4・5限 F301教室にて

4限「なぜ冷戦後、アメリカに対抗する連合が形成されないのか?」

5限「アメリカの相対的衰退を前提とし、それが日本の安全保障にどのような影響を与えるか?」

 

形式:上記テーマについて

  ①プレゼンテーションをゼミ生が実施、

  ②1年生と共にグループディスカッションを行い、

  ③各テーブルごとに議論内容を発表の後、森教授から総括をいただきます。

 

4限、5限それぞれの時間ごとに独立した内容となっております。片方のみの参加も可能です!

1年生の皆さんは乞うご期待ください!!

2012年 同志社大村田ゼミとの合同ゼミPhoto

 

 

今年度も同志社大学村田ゼミとの合同ゼミを開催することができました。以下の写真は合同ゼミの様子になります。

 

 森ゼミ、ゼミ長川添の挨拶です。

 

 

 続いて、森ゼミからのプレゼンテーションになります。テーマは、アメリカの相対的衰退についてでした。

 

 取材の都合で途中退出される村田教授に、ご挨拶をいただくことができました。

 

 

 村田ゼミによるプレゼンテーションをいただいて、グループディスカッションに移ります。

 

 


グループディスカッションの様子です。

 

 休憩を挟みまして・・・

 

 

 

各班ごとにディスカッションの内容を口頭で発表しました。

 

 

各班発表の後、森教授から今回のテーマについて総括をいただきました。 

 

 

森教授が締めの講義をしてくださっています

 

 

村田ゼミと森ゼミの合同写真です 

 

 

ゼミ後の飲み会! 右は我らがゼミ長です。 

 

 

飲み会での交流場面です 

 

 


森教授、教授のご学友、次期ゼミ長です

 

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いい感じに酔いも回ってきたようです

7/3 本ゼミ議事録

文責:渡辺 

Q. 国際関係における緊張とは、またデタントとは何か? 何を要因としてデタントは起こるのか?(米ソ冷戦と絡めて)

A班

緊張:互いを脅威と認識し、自分が優越しようと牽制し合っている状態

デタントの起こる要因

 対立するリスク>緩和するリスク

 対立するコスト>緩和するコスト

 権力欲よりも自己保存欲があがる。

 自己保存欲の上がる要因

  外部:ベトナム戦争

  内部:国内の経済疲弊

 

B班

緊張:互いに対立試合、互いに譲歩する意思がない状況

   →拡大と抑止を繰り返す状況

 

緊張緩和とは、互いに利害はあるものの、互いに譲歩する石がある状況

 条件:国内的要因→互いに問題を抱えているとき

   (例)アメリカ:ベトナム戦争の不支持拡大

      ソ連:計画経済の行き詰まり

     国外的要因→パワーバランスの均衡

            ↓デタントでは

         SALT,NPTなどの締結に繋がった。

 

C班

緊張の高まり→武力衝突の可能性up

デタント→武力衝突を避けようとする動き

 

緩和の原因:武力衝突で得られる利益より武力衝突を回避した利益の方が両国にとってメリット

 

D

緊張の定義…軍拡競争が起こっていること

緊張緩和の要因

    過剰拡大→相互確証破壊

    第三国との緊張

    緊張緩和に共通の利益

 

 

討論

CB パワーバランスの近郊からSALT,NPTなどの締結理由はありえない。 

AD 緊張の定義は説明になっていない。

DA 二国間必要じゃないのか?説明不足

DC 緊張緩和の要因が明確でない。

 

 

〇総評

学問的には、「緊張」について深く磨かれていない。未開拓な分野である。

ディフェンシブリアリズム

オフェンシブリアリズム

 

緊張が緩和する→ディフェンシブリアリズムに近い行動をとる。

       =他国に配慮した両立可能な最大限を共有するという発想。

 

勢力近郊(バランスオブパワー)システム

・合衝連衡型

   ↓戦争による疲弊を経験・学習

・コンサート型(戦争手段の禁止)

 

互いの安全を認めるか否かによって、緊張が高まるかどうかが決まる。

→有限のものであることを自覚して初めて「協調」の発想が生まれる。

これが、デタントだっ・・・!!

 

ヘルシンキ最終合意=デタントの頂点・・・ヨーロッパにおける国境を確定させた。

 

デタント崩壊へのきっかけ→ソ連の第三世界への浸透。

Ex,1979年アフガニスタンへの侵略。東側陣営の進駐だったが、アメリカは気に食わず。

アメリカ:これはソ連の南下政策の一環だ。ペルシャ湾の石油が支配されてしまう。

              ↓協調の一方的破棄

            合衝連衡へ逆戻り

 

アフガニスタンの真相は・・・アフガニスタンからソ連に政府への支援を懇願

              →ソ連は緊張激化を避けるため断り続ける

                    ↓

              アフガニスタン高官がCIAと接触

                    ↓

              ソ連激昂。侵攻へ。

Miss perceptionが発生していた!

 

 

デタント外交は、イデオロギーの違いを無視する。

 ↑そんなものがアメリカの外交であっていいのかbyネオコン

 

 

 

〇冷戦総括

リサーチプログラムを用いて分析することによって、

リアリズム・リベラリズム等の「原理」を国際政治から見出す訓練をしてもらいました。

 

原理と現象について

現象を詳しく追求したとして、原理にたどり着くとは限らない。

 

ファーブルの蚕産業。

蚕に病気が→フランス政府はファーブルに解決を依頼。・・・しかし解決できず。

パスツール(細菌学者)を派遣→数字対内に原因を確定。

 

 

本ゼミ5時限目

 <事務連絡>

・メールの書き方

 ①件名を必ず記入すること

 ②本文の書きだし部分の例

   株式会社、法政商事人事部 森聡様

   法政大学の古谷と申します。

   お世話になっております。

  ③目上の方からのメールは、自分で終わらせること

  ⇒着信確認メールの送信など

 ④言葉使いの注意

  (例)先生からシンポジウムの招待状などを受け取った時の返信

   ~を送ってくださり、ありがとうございます⇒ ○ 相手からしてもらう時に使用する

   ~を送ってくださり、ありがとうございます⇒ × 相手に許可を求める時に使用する

 

  ご連絡させていただきます⇒ご連絡申し上げますor連絡させていただきます

Key Point!!

・「いただき」を連発しない  ・「御~」は自分からする行為の時は不必要

 

<文献報告>

C班 第3章 冷戦の終結

 

ヨーロッパの緊密化は、冷戦終結時に重要だった!!

 

①レーガン外交

一般的には…

⇒冷戦を終結させたと評価

SDI(スターウォーズ作戦)⇒ソ連に技術面で脅威を与えた

 

                    しかし、そう簡単に説明できるものではない

 

ゴルバチョフを信頼していた(イギリス、フランス)

ゴルバチョフをいかに信頼しつつ、問題を解決するかが問われていた。

 

②ドイツの統一

ドイツが統一されたら、第2次世界大戦の時のように、暴れ出し、脅威になると懸念

(サッチャー、ミッテラン、ゴルバチョフなど)

⇒さらに、ドイツの統一は東ドイツの破たんを意味し、ゴルバチョフを刺激することになる(せっかく、デタントを模索しているのに、無駄に終わる可能性がある…)

 

それに対して…

ドイツのコール(キリスト民主同盟)がドイツ統一を希望

 

そして…

1989年:東ドイツと西ドイツが相互に統一することに合意し、さらにNATOに加盟する

1991年:湾岸戦争へドイツもNATOとして参戦

 

※もし、湾岸戦争がドイツ統一の前に発生していたのなら、アメリカが関与できず、ドイツ統一は実現しなかったかもしれない…

 

論点:①レーガン大統領が与えたものは何か

   ②なぜドイツがNATOに入ったのか

 

 

 

<研究構想発表>

時間がなかったため、久保木のみ  森田は翌週へ

 

柴崎さんや益田さんのような良い論文を見つけることが重要である

特に益田さん序論を参照し、そこから追加できるものがあるかを探ってみるとよい

 

2次世界大戦の終了直後

「第3勢力」⇒英仏+それぞれの植民地(米ソに対抗するため)を構築しようとした

⇒しかし、植民地の独立により、この構想はすぐに消滅することになる

 

 

西側につく (1949年のソ連によるベルリン封鎖によって危機感を抱いたため)

2極で考えるようになる

 

 

イギリスがヨーロッパ共同体に参入しなかった理由

☆経済的観点=国外要因に着目

通説① 1940年代後半のヨーロッパ経済は危機的状況(飢餓が発生していた)

⇒また、マーシャル・プランで援助を受けるほど 1958年まで援助を受ける

では、なぜ餓死者が発生する国がいる共同体に入るメリットがあるのか

それよりもCommonwealthから利益を得たほうが、メリットがある

 

通説② フランスと対立

フランス:超国家を念頭に置く  VS  イギリス:政府と政府が協調すればよい

 

1960年になると…

西ヨーロッパが回復している!!

さらに、Commonwealthより得られる利益が大きくなっている

ECに加盟

 

☆久保木の仮設  国内要因に注目

⇒国内要因>国外要因  となるような証明が必要!!

判断変更の具体的な時点を模索するとよいだろう

 

また、自分に関わらない文献も読むこと⇒反論に備えるため

自分の仮設の強みと弱みを認識する⇒社会において企画するときの訓練になる

夏合宿:最終レポートのアウトラインを作成すること!!

また、脚注も設けることで、スムーズに作業を進められる

 

久保木にコメント、アドバイスをすること

 

<来週>

研究構想発表、6人行う

6/12 本ゼミ議事録

文責:廣田

 

Q.アメリカではなぜ主流意見が孤立主義から国際主義に変わったのか?

A班 ソ連を脅威として意識するようになったから(イデオロギー的対立)

   手段 - 経済

 ・ソ連を潜在的な脅威と見なしていたアメリカは、ソ連の影響力がヨーロッパに及ぶことを危惧した。

  →そのため、経済援助をもちいて西側陣営の確立を図った。

 

B

1.ファシズムの台頭・ブロック経済圏など、

     戦争の原因となりうる要因を発生させないため

       ↑

     秩序形成への意図・能力を保持   

2.ソ連への対抗

     西欧や日本などと協力する必要があった

 

C

・アメリカによるパワーでの優位

WWⅠ後→世界恐慌によりパワーの低下→孤立主義に戻る

・イデオロギー   

WWⅠ後

   孤立主義→ファシズムの台頭→WWⅡの原因の1つ

           ↓ 反省

WWⅡ後                       

   他のイデオロギーの台頭を防ごうとした

 

D

WWⅠとWWⅡ後の違い

 ①    孤立主義を放棄

 ②    国際主義を採用

 

<要因>

    ソ連の膨張政策への対応が必要だった

    秩序を主導する能力と意志が両方備わった


 

 

解題

伝統的な孤立主義:アジアではなくヨーロッパの事を指す

    アジアは孤立主義ではなかった

    ヨーロッパと政治的な関係だけでは関わりを持たない方がいい

(経済関係は例外)   c.f.)ワシントンの告別演説



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

集団安全保障と集団防衛の違い

・集団安全保障:グループの中でルールを破った国をみんなで攻撃する

・集団防衛:初めから敵が外にあり、同盟を結ぶ

 

NATOの目的

“To keep the Germans down, the Russians out, and The Americans in” Lord Ismay

 

アメリカ人が殺害される事件が契機となってアメリカが戦争に参加した

例 ・WWⅠルシタニア号事件 WWⅡ真珠湾攻撃

Q. なぜWWⅠ後に「欧州政治に関わるとアメリカの不利益になる」との認識が放棄されなかったのか?

6/5 本ゼミ議事録

文責:沼倉

先週の課題であったコンストラクティビズムでしか説明できない事象を各班1つずつあげて発表しました。

 

A

イスラエル問題

 

B

ウィーン体制の崩壊⇒正統主義+勢力均衡

ナポレオン戦争によるフランス革命の思想が根本、自由主義、ナショナリズムの波及により、独立運動が起こる

 

C

生物兵器禁止条約(1975発効)

 ・リアリズムの立場

  →冷戦期のソ連とアメリカのパワーバランスを考えると説明できない

 ・コンストラクティビズム

  →「人道的に違反している」という間主観理解に基づく

 

D

アメリカ独立戦争へのフランスの介入

アメリカとフランスの共通の観念、経験、フランスの特級階層とアメリカ国民の見解

 

結論

A

リベラリズムによる説明が可能

ワシントンに親イスラエル団体がいる→政府の政策を親イスラエルよりにする

 

B

コンストラクティビズムによる説明が可能

現在の秩序に不満→より良い環境にしたいという観念の変化から崩壊

階級間のパワーバランスの変化から説明することも可能

 

C

リアリズムによる説明が可

アメリカは細菌からウイルスを管理できるので、実質的な不利益はない

 

D

リアリズムによる説明が可能

アメリカvsイギリスvsフランス

アメリカとフランスが協力することで勢力均衡