5月20日のゼミ4限

5月20日の4限の内容をUPしまーすネコ
まず前回のC班の問題提起について

豊田②…穏健なスティムソンの説から強硬なアチソンの説が出てくるまでに何があったのか?
46年から47年の変化の原因
仮設①[国内要因]
トルーマンによる国内の支持調達
仮設②[個人要因]
トルーマンの出現(大統領が変わった)
仮設③[国際要因]
ソ連がヤルタでの合意事項に反し始める←米は条約、ルールを破る国に       厳しい傾向

釜井①…トルーマンがウォレスのアンを退けた理由
・選挙を控えていた
・国際要因の重視

竹原①…米とイスラエル・アラブ産油国が良好な関係保持ができたのはなぜ?
・対イスラエル…限定的な資産的裏援助
対アラブ…民間的援助、米はアラブの油に依存
竹原②…ラテンアメリカが米の反対を押し切ってOAS第15条を入れられたのはなぜ?
・囲い込みのために、米はラテンアメリカと同盟を結ぶだけで十分だった
条約はあとでなんとでもなる

では20日のA班の発表に移りますOKキラキラ 発表内容はアメリカの時代第三章ですサクランボ
宮本…■二つのショックと新しい時代
■国家安全保障会議文書第68号
■「スーパー」製造の決定
■マッカーシー、アチソン、そして行動開始への召集
■朝鮮―予期せざる戦争

問題提起…スターリンが朝鮮に介入しない意向を示したのはなぜか
[参考文献]和田春樹「朝鮮戦争全史」

神山…■1949~1950年の大転換 大統領権限と国連
■台湾の蒋介石との再婚
■日本
■インドシナと東南アジア
■西ドイツの再軍備
■巻き返しと20年間の米中対立の始まり

問題提起…なぜ朝鮮では原爆が使用できず、西ヨーロッパでは使用できるのか
原爆使用の条件
[参考文献]ヘンリー・キッシンジャー「核兵器と外交政策」

竹澤…■マッカーシーとマッカーサー
■結論

問題提起…・マッカーサーのかってな行動に対しトルーマンがすぐに対処しなかったの      はなぜか
[参考文献]和田春樹「朝鮮戦争全史」
・トルーマンが北朝鮮との休戦会談に踏み出そうとしたのはなぜか
→戦争の膠着状態からの戦意喪失

流れだけです。

もう夏ですね晴れいやだー!

では…
担当は竹澤でした。

5/13 4時限

こんにちは 2年豊田です
5/13 4限のゼミの内容を更新します、一週間空けてしまいました

まず4/29でサブゼミ課題になっていたものから

【ソ連がアメリカに強硬姿勢を取ったのはなぜか?】
外敵(アメリカ)の脅威をあおり、国内を引き締め、安定させるため
この問題提起で重要なのは、分析のレベル、糸口を変えるということ
国際レベルで説明できない場合は、国内や個人レベルから考える

【パワーバランスがA国:B国:C国=7:3:4となっている場合、どのような条件がそろったら国は一つにまとまるのか?】
サブゼミでは、バランシング、バンドワゴンといった考えが出てきたのですが、
重要なのは『正統性の再構築』です

①パワーの比率が変わらないという見通し
②膠着状態から生じる嫌戦ムード、資源の枯渇
③停戦合意
④安定的秩序の希求
⑤憲法をつくって選挙を行う
⑥正当な秩序の構築

5/13 4限の書評担当はC班の『アメリカの時代 第二章』でした
■敵対する世界での勝利者
・東欧ではソ連が優勢
ブレトン・ウッズ体制にソ連が反対したことで、アメリカは東欧でのソ連の影響力を後退させることに失敗
・西欧ではアメリカが圧倒的優勢を享受
・アジア、中国においては、アメリカは蔣介石を助けず

■危機の1946年
アメリカの対外政策の変更
・ドイツ、日本、イラン、トルコ、原子力といった問題を巡って米ソが衝突

■戦後世界の創造
トルーマンはアメリカの政策に確固たる方向づけを行った
●ケナンの長文電報
・ソ連の「封じ込め」に関する持論を詳細に展開、
・アメリカ政府はソ連と対処する場合、外交より経済力および軍事力に依拠
→ケナンの封じ込め理論による力の行使の正当化
●トルーマン・ドクトリン
・アチソンの「腐ったリンゴ」理論(ドミノ理論の先駆け)
●マーシャル・プラン
・戦後のアメリカ外交のなかで最も輝かしい成功を収めたものと言える
・自由貿易と開放市場が組み合わさったもの、かつ、労働者と雇用者そして政府との緊密な協調関係を求めるもの
←コーポラティズム(「協同主義」)
●ラテンアメリカとの同盟関係
・リオ軍事条約締結(1947年)
・米州機構(OAS)歴史的憲章調印
第15条…他国の国内や対外問題に介入する権利をもたない
●NATO
1949年4月調印
・この条約によってアチソンが基本的要素と考えていた
北大西洋地域諸国間の強固な連帯と軍事面における新しい「力の立場」が確立
・政治、経済面における緊密な協力体制の構築
・武力攻撃に対抗するための個別的ならびに集団的防衛能力の開発
・第5条…締約国に対する武力攻撃は全締約国に対する攻撃

《問題提起とサブゼミでの結果》
豊田
①経済的、軍事的優位、特に原子爆弾をもってしてもソ連に変化を生み出せないことがわかったにもかかわらず、なぜトルーマンは話し合いによる策をとらなかったのか
⇒話し合いの代わりにどんな策をとったのかを次のゼミで

②ヨーロッパを原状復帰させる対ソ連策として、原爆は有効ではないというスティムソンの説から、兵器の力以外スターリンを抑えることができないというアチソンの説が出てくるまでに必要だった事柄はなにか
⇒二つの説は出ていくが、ケナンの長文電報などから強硬策になったアメリカの政策にあっているアチソンの説が好まれた

釜井
①東欧においてポーランド、チェコスロバキアのマーシャル・プランへの参加の意思が見えていたにも関わらず、米国が東欧において対立関係を崩せなかったのはなぜか
⇒マーシャル・プランを米国の東欧への巻き返しと警戒していたソ連からの強固な反対にあったため

竹原
①イスラエル建国後も、イスラエルともアラブ産油国とも良好な関係を保持できたのは国務省や米石油企業の一層の努力によるものだが、どのようにして関係保持に成功したのか
⇒米国はイスラエルへの経済援助をしていたが、石油産油国への建前上あまり大々的にしなかったなど、配慮をみせていたから。
※これについてはCSで中東担当の花岡、竹澤が夏までに調べておくこと

②米に従うしかないラテンアメリカが米の反対を押し切ってOASの第15条を入れることができたのはなぜか
⇒他の条文で妥協点を作ったのでは?
e.g.)プランテーションを好きなだけ作っていいなど
・ラテンアメリカは脅威ではなかったために、関与しなくてもいいと思った
・ソ連に対する先手としてどうしてもラテンアメリカを譲れず、妥協した。

③NATO成立の各加盟国のメリットにドイツを抑えたとあるが、西ドイツをNATOに入れることでNATOが最強になるというメリットも考えられるが、西ドイツの建国を待ってNATOを成立させるという手段に出なかったのはなぜか
⇒NATO成立1949年4月、西ドイツ成立1949年5月、西独NATO加盟1955年5月
⇒ソ連への対策としてどうしても欧州各国との連携が欲しかった米国は、西ドイツの潜在的な力によるメリットよりもヨーロッパの懸念を尊重するしかなかった
⇒後に西ドイツが加盟したのはソ連の脅威が急速に加速してきた(中国の共産化など)ので、ヨーロッパの懸念よりも西ドイツを入れるメリットの方が大きくなったため
(『冷戦史』P34,L3参照)

長々と書いてきましたが、以上です
なんだか長すぎました

初書評、わたくし、班の持ち時間40分という制限にもかかわらず
ひとりで30分くらい延々としゃべっていました
皆さん本当にごめんなさい
あらゆる点において、ああなんかもう、最低

次回のC班の書評ではそのようなことが決してないように、
日々精進してまいります

4/29 4限

こんにちわ 2年の鵜飼です!
最近よーこさんに会ってクッキーもらいました  こーやまと情カフェで「作ってあげたい彼ごはん」のブログの女の子と料理に興奮しつつ
張り切ってぶろぐ書こうかなーと思ったら

な、なんと。。。

予想外に華さんが書いてくれました!

が、しかし。

3限ってゆうおちゃめな間違いを発見 あと、①なんですが、多分うちらの回の話じゃないです!

てなわけで、担当者うかい、ブログ書きます 正直よく書くべきことを理解してません!
レジュメの内容の要点?と問題提起とそのアンサーをかいていきまーす

今回私たちB班が担当した「冷戦史」の1章・冷戦勃発は
以下の4つのセクションにわかれています
1・米英ソ対立の顕在化
2・冷戦の軍事的次元―東西軍事ブロック対峙の構図
3・アジアに広がる冷戦
4・朝鮮戦争

担当は、1→花岡 2→鵜飼 3・4→與那覇 でした。

[要点]
セクション1は、政治的対立に至った経緯ですね!

・ポーランドを巡っての米英ソの三国の思惑が対立し、最終的にはソ連に対して米国が譲歩したので、共産主義政権がポーランドに樹立されたことにより、イデオロギーの対立がはっきり姿を現した。
・トルーマンの登場による状況変化
・ソ連はイデオロギー的に共存は不可能だということを声明し(スターリン)、次第に米国もソ連を脅威とみなすようになる(クリフォード報告)。

セクション2では、政治的対立から軍事的性格を帯び始めたことについて触れられています。私の担当箇所ですね
・米国にとってソ連は脅威と感じていながらも(cf・クリフォード報告)、軍事的に圧倒的に優位にたっていたため、ソ連を強くないものと見ていた。
・英国は陸続きであったし圧倒的な軍事的不利(←だと思ってただけ(by森先生)らしいですね!笑)のため、ソ連を恐れていた。→西方同盟
→集団防衛としての実力を持たず、結局は米国の助けが必要となる。
・ベルリン封鎖などソ連の強固な体制に対し、米国は核などによる断固たる態度をとり、これにソ連は譲歩したのだが、ここから東西対決が軍事的性格を帯び始めた。
・NATO成立→ワルシャワ条約機構
∴冷戦ははっきりと軍事的次元をもつにいたった。

3・
セクション3ではアジアに冷戦が広がった感じですね!

・WW2で日本が敗北し、アジアにおける冷戦は激化した。
・中国で共産党が勝利→中華人民共和国が成立、ソ連と中国がベトナム民主共和国を承認するなど、共産主義化が広まりつつあった。
・米国は、東南アジア、中東、日本、そして西欧まで将棋倒しで共産化されるという恐れ(=ドミノ理論)を感じ、ベトナム国承認とともにベトナムへ軍事援助を開始した。
・米ソは朝鮮半島を北緯38度線で分断することに。北をソ連、南を米国領とした。

4・
セクション4は朝鮮戦争のおはなしです。

・米国、朝鮮半島を防衛ラインから外す=米国単独でのコミットメントの回避
・南朝鮮の北朝鮮挑発や武力衝突の発生→朝鮮戦争勃発(1950.6.25)
・米国が国連軍として朝鮮戦争に介入→ソ連も空軍を派遣し、直接関与
・韓国は休戦に反対し、米韓相互防衛条約の受託を求めた。→受託 ※休戦協定には著名せず
・米国は挑戦判定を戦略的に重要視していなかった。→共産主義の防衛として米ソの対立戦略の仲に位置づけられることになった

以上です!詳しくはレジュメを!大切なのかな?と思うようなことをばばーっと書いてみました。
あんまり書くとながーくなっちゃうかなと…x_x

でわ問題提起です!

花岡1 なぜアメリカはソ連を攻撃しなかったのか?
→ソ連の復興が難しいと判断したから。占領自体が極めて困難であったから。
2 経済的軍事的に米国にかなわないソ連はなぜ強固姿勢をとったのか(課題)

鵜飼1 なぜ米国は初期とベルリン閉鎖時にソ連を軍事的脅威と見なさなかったのか
→アメリカの軍事的圧倒的優位(自分のレジュメにそう書いてました)
2 なぜベネルクス三国(三兄弟じゃないです)は仏独と隣接していながら、仏が西独を脅威とみなすことに反対したのか

クリックすると元のサイズで表示します
→仏独関係が悪化することで、戦争に巻き込まれる恐れがあるから。また、両国と隣接しているため、両者の関係が悪化すると、どっちの味方になるかの選択しをせまられ、社会的・経済的に困るから。
3 英国はなぜソ連の東欧進出を恐れる一方で西欧の安全保障を第一としなかったのか
→経済的疲弊

與那覇1 朝鮮戦争の際の一連の安保理の決議採択に、なぜソ連は欠席しつづけたのか。
→国連の機能不全を責められるのを恐れた
2 当初、米国はなぜ朝鮮半島よりも非軍事化された日本を米ソ対立の重要な戦略として位置づけていたのか。
→日本の方が軍事的・経済的にポテンシャルが高かった。
武力による現状の変更を認めない cf.トルーマンドクトリン

あとは華さんの方の2を参照してください!

3 なぜ韓国は北朝鮮との停戦協定に著名せず、南北統一にこだわったのか。
→(未)

以上です!
長々ともうしわけないです!

いやー、緊張した

2009.04.29のぜみ☆(3限)

 ゼミの仲間もそれ以外の皆様も、GW楽しんでいますかー 私はBLOGUP完了したら、銀座へネイルアートしてもらいに行ってくるよ♪ わたし練習台になるから無料エヘ本題へ ⇒⇒4月29日のゼミ限は B班 花岡くん 鵜飼さん 與那覇さん

戦後の欧米社会における冷戦状態、東西分裂が確たるものになっていく過程と、後にアジア世界へも拡大していく様子が分かりやすくまとまっていました
①ベネルクス三国を統合することで経済的国境を無くす経済同盟 (⇒EUの基盤となる)と、軍事同盟 (⇒NATOの成立)の双方の協力関係強化を同時に行ったことが、西側諸国の競争優位と地位確立を可能なものにしたのですね!
②ジョージ・ケナンの外えん防衛は森ゼミ生の基本知識です!!
ケナンは、ソ連(共産主義)の拡大を封じ込めることで、⇒⇒自由主義世界を防衛することを提唱した『封じ込め政策』立案者です
これは去年のゼミ議事録で、大坪君がまとめてくれたものです。
二年生のみんな参考にしてください♪

【封じ込め】
①Perimeter Defense (外縁防衛)
→戦略上の脅威は全てたたく
・トルーマンドクトリン
・NSC-68(Dアチソン、Pニッツィ)
・柔軟反応戦略(ケネディ、ジョンソン)
②Strongpoint Defense (重点防衛)
→戦略上の重点を抑える
・ジョージ・ケナン
・ニュールック戦略(アイゼンハウアー)
・デタント(デタント)

※①、②の大きな違い:軍事支出(コスト)
※「Strategies of Containment」-ガディス

つづいて限は、私の本年度のテーマである『アメリカのアイデンティティ論 ~と新しい時代におけるその軍事的役割と政治的役割』について、9.11のテロ事件を参考に調べてみました。

①古い戦争では、国のトップ・リーダーが戦闘当事者となり、国家間の争いが行われていたのですが…
新しい戦争は、今まで非公式な存在として扱われていた非国家主体アクターによって行われる組織的暴力をさします。
先生から、同じ組織的暴力でも 縫謄蹇。◆貌眄錣任和弍・・・禊格僂錣辰討・襪里如△匹舛蕕・望播世鮃覆襪茲Ε▲疋丱ぅ垢鬚發蕕い泙靴ソ
②どういう要因によって人道的介入を行うのか?
⇒独立変数となりうる要因:アメリカの威信、国際的要請、大統領の意思 もっと調べてみます!

③次回の課題 例) 三つの国家  :A国 B国 C国
パワーバランス: 7  3  4

⇒の場合、なにをすると国がまとまるのか?
三国同盟の方法を考えてみてください
いまのところ、私は分かりません過去の三国協商とか三国同盟とかについて調べたら、ヒントがみつかるかな??
とこんなかんじで、今回の報告は以上です!

CHAO
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2009/4/27

「4月22日 4限」
2009年4月22日の授業内容をUPします 4限は二年の與那覇が議事録担当です!!今回の発表はA班
「アメリカの時代」第1章~第二次世界大戦~でした!
初の2年の文献発表だったので、B班の私も緊張しました■戦後和平についての論争
・英の指揮権統合やインド独立、国際機関での相互協力問題
などで米英ソの三大国の関係悪化
・そのような状況下、ローズベルトの「四人の警察官」案の提唱

[問題提起]
①なぜローズベルトは「四人の警察官」案を提唱したのか。

・資本主義発展のための市場確保
・日独への対抗のため&中国はソ連の監視
(対日戦で貢献したソ連を満足させるためのリ ップサービス)
②ローズベルトはテヘラン会談後、ソ連を主要なパートナーとし てみなし始めた。アメリカとソ連のあいだで、なぜ利害の一致が見込めたのか。

■ヤルタへ
・ブレトンウッズ会議→世界銀行・国際通貨基金設立が決定
ワシントンでは国際連合設立のための会議も
・チャーチルとスターリンの秘密取引(パーセンテージ取引)
・ヤルタ・・・ソ連はポーランド東部の返還を要求したが米英は  認めず。ドイツ降伏後3か月以内の対日参戦にソ連が合意

[問題提起]
①なぜソ連は極東ではなく東ヨーロッパの権益に固執したのか。

・ポーランドとの地理的近接性、ポーランドの重要性
・緩衝地帯=バッファーゾーン
・ドイツ分割を通したドイツ弱体化への狙い
②ソ連は経済面よりも安全保障を優先するのはなぜか。

■その後およびポツダム、原爆投下と日本の降伏
・スターリンが東ヨーロッパの再建に着手する中、ローズベルト
後のトルーマンはソ連への強硬策を採用→ドイツの分割
・トルーマンの原爆外交は失敗。しかし日本へ二発の原爆投下
日本は降伏し第二次世界大戦終戦→新たな戦争=冷戦の開始

[問題提起]
①ローズベルトの「我々の軍隊は、ほんの数日のうちに、我々がもっと『断固たる』態度をとれるような形成を作っているであろう」という言葉は原爆投下を示唆していたのか。
②二発目の原爆は必要であったのか。

必要⇒・日本の降伏=二発の原爆投下+ソ連参戦
・極東の権益

不必要⇒・米の勝利は見込めていた
・一発で十分であった

トップバッターのA班おつかれさまでした~♪最初なのにうまくまとめてあってすごかったですね
冷戦の始まりはヤルタ会談だと思っていましたが、今回の発表を通してそれ以前から三大国間には冷戦を予期させる摩擦があったことがわかりました。大国の思惑が垣間見えるような興味深い発表だったと思います
次回はB班の発表です!A班のいい流れを引き継げるよう頑張りたいと思います 以上です

4/22 4限

2009年4月22日の授業内容をUPします 4限は二年の與那覇が議事録担当です!!

今回の発表はA班
「アメリカの時代」第1章~第二次世界大戦~でした!
初の2年の文献発表だったので、B班の私も緊張しました
■戦後和平についての論争
・英の指揮権統合やインド独立、国際機関での相互協力問題
などで米英ソの三大国の関係悪化
・そのような状況下、ローズベルトの「四人の警察官」案の提唱

[問題提起]
①なぜローズベルトは「四人の警察官」案を提唱したのか。

・資本主義発展のための市場確保
・日独への対抗のため&中国はソ連の監視
(対日戦で貢献したソ連を満足させるためのリ ップサービス)
②ローズベルトはテヘラン会談後、ソ連を主要なパートナーとし てみなし始めた。アメリカとソ連のあいだで、なぜ利害の一致が見込めたのか。

■ヤルタへ
・ブレトンウッズ会議→世界銀行・国際通貨基金設立が決定
ワシントンでは国際連合設立のための会議も
・チャーチルとスターリンの秘密取引(パーセンテージ取引)
・ヤルタ・・・ソ連はポーランド東部の返還を要求したが米英は  認めず。ドイツ降伏後3か月以内の対日参戦にソ連が合意

[問題提起]
①なぜソ連は極東ではなく東ヨーロッパの権益に固執したのか。

・ポーランドとの地理的近接性、ポーランドの重要性
・緩衝地帯=バッファーゾーン
・ドイツ分割を通したドイツ弱体化への狙い
②ソ連は経済面よりも安全保障を優先するのはなぜか。

■その後およびポツダム、原爆投下と日本の降伏
・スターリンが東ヨーロッパの再建に着手する中、ローズベルト
後のトルーマンはソ連への強硬策を採用→ドイツの分割
・トルーマンの原爆外交は失敗。しかし日本へ二発の原爆投下
日本は降伏し第二次世界大戦終戦→新たな戦争=冷戦の開始

[問題提起]
①ローズベルトの「我々の軍隊は、ほんの数日のうちに、我々がもっと『断固たる』態度をとれるような形成を作っているであろう」という言葉は原爆投下を示唆していたのか。
②二発目の原爆は必要であったのか。

必要⇒・日本の降伏=二発の原爆投下+ソ連参戦
・極東の権益

不必要⇒・米の勝利は見込めていた
・一発で十分であった

トップバッターのA班おつかれさまでした~♪最初なのにうまくまとめてあってすごかったですね
冷戦の始まりはヤルタ会談だと思っていましたが、今回の発表を通してそれ以前から三大国間には冷戦を予期させる摩擦があったことがわかりました。大国の思惑が垣間見えるような興味深い発表だったと思います
次回はB班の発表です!A班のいい流れを引き継げるよう頑張りたいと思います 以上です