7/14のゼミ

B班江本です!!!!
すみません、更新おくれました~~。
・・・・・・・・・友達がレポート手伝え!ってうるさくて(ノ_・。)


今回の課題は、『冷戦が終結したのはなぜか?リアリズム・リベラリズム(国内要因)・コンストラクティヴィズムそれぞれの観点から分析せよ』でしたビックリマーク
論点は以下の通りです。

《リベラリズム》

ポイントは三つ!!!

1.米ソ間のパワーギャップの拡大により、ソ連はアメリカにバンドワゴンした。

But!!!!
確かにそうなんですが、問題があるのです。
それは
どれぐらいのパワーギャップに達するとバランシングからバンドワゴンへの切り替えが発生するのかはてなマーク、この問いは誰もわからないのです(/TДT)/

というわけでポイント
2.どのくらいのパワーギャップがソ連のバンドワゴンを決定づけるのかはわからない。

です。
そういえる理由にはもちろんしっかりした先行研究がなされていないというのがひとつにあげられますが、

そもそもパワーの指標が怪しいという問題があります。

一国のパワーは経済力や軍事力や保有資源などさまざなな要素が総合されたものといえます。しかもそれぞれのデータも、データの取り方によって出てくる数値はてんでバラバラになってしまいます。特に軍事力規模というのは、怪しいものです。軍事情報自体が機密扱いされがちなデータであることを考えると、一国が発表している軍事費などの情報が正しいかどうか外側から判断することはきわめて難しいといわざるを得ません。
パワーギャップを明確に数値化して比較検討することなどできないのですダウン
それではソ連がなぜ疲弊しアメリカに対するパワーギャップをみすみす広げてしまったのでしょうか??

3.共産主義諸国の経済失敗


ソ連はなぜ冷戦終期に疲弊していったのか?この問いの答えとして、アフガニスタン侵攻の泥沼化が挙げられると思います。しかしながらそれが主原因ではありません。国外拡張でないとしたら、国内問題です。ここで私たちはソ連の経済に潜む根本的問題に目を向けなければならないのです。

ここで注目するのが、ソ連とソ連の衛星国の経済援助関係です。
資本主義国の同盟国関係では、大国から小国への援助はもちろんのこと、小国から大国への援助もありえます。また貿易上の協定を結んで、両国の経済活性化のための調整も行うことができ、両国の経済発展に繋がります。

しかしソ連ではどうだったか???

計画経済である以上、ソ連と衛星国の貿易による経済活性化という資本主義的方法は使えません。つまり衛星国の計画経済が失敗すると、ソ連は独力で衛星国の損失分を負担しなければなりません。資本主義国同士は相互援助が可能なのに対して、共産主義国家同士ではソ連から共産主義諸国へ、という一方的流れができあがってしまうのです。これではソ連はいつまでたっても国富を蓄えることができません。共産主義諸国経済の構造的問題は、ソ連の経済発展の機会を奪っていきました。

(図)----------------------------------------------------------
資本主義                共産主義
相互援助               一方的援助=成長の機会なし!!!!
大国⇔小国              ソ連⇒衛星国
---------------------------------------------------------------

以上のことから、東欧などの衛星国の計画経済の失敗によりソ連は経済成長の機会を失った。このことにより、アメリカとのパワーギャップを縮めることが不可能になったから、ということがいえます。

続いては・・・
《リベラリズム(国内要因)》

です。今回は国内要因を主に分析しました。
ソ連経済が疲弊しており、それが冷戦体制を支えられなくなったのはリベラリズムでも確認したとおりです。
では経済の疲弊でソ連国内ではなにが起こったのでしょうか???
まずは国民の反発が起きました。それに並行してソ連政権内では反体制派が形成されます。しかしここで注意したいのが、反体制派は複数いることです。

ソ連独力でソ連建て直し路線 VS 西側との協調によってソ連建て直し路線

大まかにこの二つのグループが存在しうるわけです。両陣営は政治抗争を繰り広げるわけですが、ゴルバチョフが主導権を握ったことから分かるように、ソ連は西側と協調しつつ国を立て直すことになりました。情報の流入により、国民は西側の豊かな生活を知るようになり、西側との協調を主張するグループが力を持てたわけです。

最後に
《コンストラクティヴィズム》

です。
コンストラクティヴィズムで争点となるべきは、『ソ連のアイデンティティを変化させたのはなにか?』という問題です。

まず最初のポイント、それはシステム導入の必要性です
ゴルバチョフ政権は、経済の立て直しに資本主義的方法を導入します。なぜ資本主義的方法を導入しようとしたのか、それはまさに資本主義が現に成功している経済体制であったからその手法をまねることによって経済の立て直しができると考えたわけです。事実ゴルバチョフはアメリカのシュルツ国務長官に資本主義経済のレクチャーを受けていたという逸話まであります。

西側のイデオロギーを前提にソ連はどう生きていくか?その問いには西側の協調しかありませんでした。かくしてソ連に西側との協調という、アイデンティティの変化が生じたのです。

しかしそれだけではソ連は西側との協調に踏み込めません。なぜならソ連には、西側と協調することが西側からの攻撃される・軍事/外交的に攻め込まれる弱みとはならない保証が必要でした。冷戦中の米ソを苦しめ続けた、『安全保障ジレンマ』は相互不信から発生します。安全保障ジレンマをとく方法は、両国の信頼構築に他なりません。
ではソ連はアメリカのどの動きから、アメリカに対する警戒心をといていったのでしょうか?ポイントは4つです。

1.東欧への干渉を自制
1989年 東欧革命⇒アメリカはこの東欧の民主化に対して何も声明をださず、干渉もしませんでした。

2.バルト三国による独立の押さえ込み
1990年 バルト危機
⇒ソ連衛星国のひとつであるリトアニアの独立宣言によりバルト三国の独立が現実味をおびたものとなりました。しかしアメリカこれを調停、バルト三国の独立を阻止しました。これによりソ連はアメリカに信頼を傾けるようになります。

3.ドイツの再統一
⇒NATO残留のままのドイツ再統一でした。ドイツを失ったソ連には、ドイツのNATO軍が脅威に見えたのは間違いありません。ドイツNATO軍をなんとか残留させたいアメリカは、ソ連に300億ドル以上の経済援助を実施。NATO軍も反ソ軍隊にならないように、組織の変革を実施しました。

4.軍縮⇒1990年7月の首脳会談で、NATOは通常兵力と核戦力の一層の軍縮を決定しました。

一方、アメリカはソ連を信頼していました。それはすでソ連は弱りすぎてアメリカに反撃する能力がないという確信です。アメリカはソ連とつながりのある反米国家の政府転覆工作を何度か実行して、成功した例mもありますが、逆にソ連が西側国家の政府転覆工作を行ったことはついに一度もありませんでした。このことからも、米ソの力の差がわかります。アメリカは冷戦終結のために、東欧への干渉といった利益を自ら放棄することで、ソ連に対して敵対意志がないことをアピールしました。

次はB班、『戦後アメリカ外交史』
第5章 新しい秩序を模索するアメリカ外交
です。今回はの主役はクリントン。

クリントンのオンパレードでした!!!

1.「封じ込め」から「拡大」へ
・クリントン外交の課題と環境
→国内経済に重点がおかれる。
・同盟関係・敵対関係の変化
→非NATO地域の安全保障に乗り出す(=平和のためのパートナーシップ)
・日米同盟の変化
→米は日本をソ連に変わる脅威と認識、日米安全保障体制の再定義へ
・冷戦時代に敵対した国家との関係変化
●ロシア→核兵器撤廃援助、チェチェン紛争などで緊張関係は続く
●中国→関与政策で中国を国際システムに組み込ませる
・ブッシュ政権の遺産
→クリントンの外交=対応が遅い
ソマリア、ルワンダ、ボスニア=ヘルチェゴビナ、ハイチ、朝鮮半島、イラク問題といった問題が山積。
・外交指針の変化
→経済。社会・地球環境を考慮した新しい安全保障観 民主主義の拡大・拡大と関与の安全保障戦略

2.アメリカによる国際秩序形成の試み
・アメリカ単独主義の対抗
→共和党多数派議会とクリントン大統領の「分割政府」 二期目からは共和党と協調路線へ
・テロに立ち向かうアメリカ
→移民・イスラム教徒に対する恐怖・敵対心
・新たな軍事的秩序の模索
→旧ソ連の核兵器や技術の流出阻止・ロシアとの相田で戦略兵器削減する必要性
・「拡大」戦略の縮小と国内政治
→国内ではクリントンのスキャンダル。その時期にクリントンはイラクへの空爆など行い目をそらそうとした。国内政治問題の解決に外交を使ったと批判される。

3.歴史に残す足跡を求めて
・世界の調停者
→北アイルランド、イスラエル紛争の調停。しかし失敗。
・アメリカによる秩序形成といはんしゃへの制裁
→イラクの核査察拒否は2003年のイラク戦争へ繋がる。ボスニアー=ヘルツェゴビナではNATOの大規模空爆。一方、アメリカの横暴が目立つ。NGOの登場で国際秩序に変化。
・冷戦の清算を試みて
→ベトナム、中国、朝鮮半島、キューバへのアメリカ外交。
・未来志向のビジョン外交
→経済重視、民主主義の拡大
・アメリカのリーダーシップ
→他国から尊敬されつつ協力を引き出すというリーダー像を目指す

今回は書評はありませんでした。
ので!合宿でやることについての説明が先生からあったので書きます。

1.
二年生は日米同盟・米台同盟・米韓同盟・米比同盟・NATO
についてそれぞれ調べてますが、合宿では

同盟形成の条約締結に至るプロセス
を発表します。

そこでのキーポイントは、
どういう要因・ロジックが働いて同盟形成にいたったか?
同盟形成の際に存在した障害とはなにか?その障害をどう克服したのか?
アメリカと同盟国の政策担当者は何を考えていたのか?
(同盟形成という向かう方向は同じでも、目的意識の違いなど、双方の思考の違いに注目!)

2.アジアはなぜNATOのように多国間の集団防衛条約ではなく、二国間の同盟を締結するにいたったか?
→シュウェラー『同盟の規模』を参考

以上です。

レジュメを凝った作りにして、気分よかったんですが・・・・

ミシェロ・・・・

ミロシェ・・・・

ミロシェビッチっていえなくて・・・・・

・・・・そんでもってミロシェビッチが言えない自分がおかしくなって

いきなり笑いだすという

非常に気持ち悪いことをしてしまい

まことに・・・・

まこと~~~~~に申し訳ありませんでした。

来週は前期最後のゼミですね。
頑張りましょう。