5/13 4時限
こんにちは 2年豊田です
5/13 4限のゼミの内容を更新します、一週間空けてしまいました
まず4/29でサブゼミ課題になっていたものから
【ソ連がアメリカに強硬姿勢を取ったのはなぜか?】
外敵(アメリカ)の脅威をあおり、国内を引き締め、安定させるため
この問題提起で重要なのは、分析のレベル、糸口を変えるということ
国際レベルで説明できない場合は、国内や個人レベルから考える
【パワーバランスがA国:B国:C国=7:3:4となっている場合、どのような条件がそろったら国は一つにまとまるのか?】
サブゼミでは、バランシング、バンドワゴンといった考えが出てきたのですが、
重要なのは『正統性の再構築』です
①パワーの比率が変わらないという見通し
②膠着状態から生じる嫌戦ムード、資源の枯渇
③停戦合意
④安定的秩序の希求
⑤憲法をつくって選挙を行う
⑥正当な秩序の構築
5/13 4限の書評担当はC班の『アメリカの時代 第二章』でした
■敵対する世界での勝利者
・東欧ではソ連が優勢
ブレトン・ウッズ体制にソ連が反対したことで、アメリカは東欧でのソ連の影響力を後退させることに失敗
・西欧ではアメリカが圧倒的優勢を享受
・アジア、中国においては、アメリカは蔣介石を助けず
■危機の1946年
アメリカの対外政策の変更
・ドイツ、日本、イラン、トルコ、原子力といった問題を巡って米ソが衝突
■戦後世界の創造
トルーマンはアメリカの政策に確固たる方向づけを行った
●ケナンの長文電報
・ソ連の「封じ込め」に関する持論を詳細に展開、
・アメリカ政府はソ連と対処する場合、外交より経済力および軍事力に依拠
→ケナンの封じ込め理論による力の行使の正当化
●トルーマン・ドクトリン
・アチソンの「腐ったリンゴ」理論(ドミノ理論の先駆け)
●マーシャル・プラン
・戦後のアメリカ外交のなかで最も輝かしい成功を収めたものと言える
・自由貿易と開放市場が組み合わさったもの、かつ、労働者と雇用者そして政府との緊密な協調関係を求めるもの
←コーポラティズム(「協同主義」)
●ラテンアメリカとの同盟関係
・リオ軍事条約締結(1947年)
・米州機構(OAS)歴史的憲章調印
第15条…他国の国内や対外問題に介入する権利をもたない
●NATO
1949年4月調印
・この条約によってアチソンが基本的要素と考えていた
北大西洋地域諸国間の強固な連帯と軍事面における新しい「力の立場」が確立
・政治、経済面における緊密な協力体制の構築
・武力攻撃に対抗するための個別的ならびに集団的防衛能力の開発
・第5条…締約国に対する武力攻撃は全締約国に対する攻撃
《問題提起とサブゼミでの結果》
豊田
①経済的、軍事的優位、特に原子爆弾をもってしてもソ連に変化を生み出せないことがわかったにもかかわらず、なぜトルーマンは話し合いによる策をとらなかったのか
⇒話し合いの代わりにどんな策をとったのかを次のゼミで
②ヨーロッパを原状復帰させる対ソ連策として、原爆は有効ではないというスティムソンの説から、兵器の力以外スターリンを抑えることができないというアチソンの説が出てくるまでに必要だった事柄はなにか
⇒二つの説は出ていくが、ケナンの長文電報などから強硬策になったアメリカの政策にあっているアチソンの説が好まれた
釜井
①東欧においてポーランド、チェコスロバキアのマーシャル・プランへの参加の意思が見えていたにも関わらず、米国が東欧において対立関係を崩せなかったのはなぜか
⇒マーシャル・プランを米国の東欧への巻き返しと警戒していたソ連からの強固な反対にあったため
竹原
①イスラエル建国後も、イスラエルともアラブ産油国とも良好な関係を保持できたのは国務省や米石油企業の一層の努力によるものだが、どのようにして関係保持に成功したのか
⇒米国はイスラエルへの経済援助をしていたが、石油産油国への建前上あまり大々的にしなかったなど、配慮をみせていたから。
※これについてはCSで中東担当の花岡、竹澤が夏までに調べておくこと
②米に従うしかないラテンアメリカが米の反対を押し切ってOASの第15条を入れることができたのはなぜか
⇒他の条文で妥協点を作ったのでは?
e.g.)プランテーションを好きなだけ作っていいなど
・ラテンアメリカは脅威ではなかったために、関与しなくてもいいと思った
・ソ連に対する先手としてどうしてもラテンアメリカを譲れず、妥協した。
③NATO成立の各加盟国のメリットにドイツを抑えたとあるが、西ドイツをNATOに入れることでNATOが最強になるというメリットも考えられるが、西ドイツの建国を待ってNATOを成立させるという手段に出なかったのはなぜか
⇒NATO成立1949年4月、西ドイツ成立1949年5月、西独NATO加盟1955年5月
⇒ソ連への対策としてどうしても欧州各国との連携が欲しかった米国は、西ドイツの潜在的な力によるメリットよりもヨーロッパの懸念を尊重するしかなかった
⇒後に西ドイツが加盟したのはソ連の脅威が急速に加速してきた(中国の共産化など)ので、ヨーロッパの懸念よりも西ドイツを入れるメリットの方が大きくなったため
(『冷戦史』P34,L3参照)
長々と書いてきましたが、以上です
なんだか長すぎました
初書評、わたくし、班の持ち時間40分という制限にもかかわらず
ひとりで30分くらい延々としゃべっていました
皆さん本当にごめんなさい
あらゆる点において、ああなんかもう、最低
次回のC班の書評ではそのようなことが決してないように、
日々精進してまいります